瞽女 GOZE

瀧澤正治 監督作品 - 瞽女GOZE -

 新潟から世界へ。
2020年公開


私が最後の瞽女と言われた小林ハルさんの
ヒューマンヒストリー映画を監督したいと思い立ったのは2003年1月のことでした。
テレビ番組で初めて瞽女・小林ハルさんの存在を知ったのです。
その時私は、彼女の過酷なまでの生き様に強い衝撃をにうけました。
しかもその結末に私は涙を止める事の出来ない心地よい感動を受けたのでした。
盲目のハルさんは言う「もし次の世に生まれたら虫でも良い明るい目を持って生まれてぃなぁ」と、
この言葉の重みを本当に理解できるのは視覚障害者の人たちだけでしょう。

私が最後の瞽女と言われた小林ハルさんの
ヒューマンヒストリー映画を監督したいと思い立ったのは2003年1月のことでした。 テレビ番組で初めて瞽女・小林ハルさんの存在を知ったのです。 その時私は、彼女の過酷なまでの生き様に強い衝撃をにうけました。しかもその結末に私は涙を止める事の出来ない心地よい感動を受けたのでした。盲目のハルさんは言う「もし次の世に生まれたら虫でも良い明るい目を持って生まれてぃなぁ」と、この言葉の重みを本当に理解できるのは視覚障害者の人たちだけでしょう。

瀧 澤 正 治

Masaharu Takizawa

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NEWS

映画「瞽女GOZE」製作発表会

 1月16日、新潟市のANAクラウン新潟・芙蓉の間において、映画「瞽女GOZE」の製作発表会が行われた。 瀧澤正治監督が16年間に亘って温めてきた最後の瞽女(ごぜ)・故小林ハルさん(民俗芸能瞽女唄により国の無形文化財保持者)の半生の物語の映画化である。(ハルさんの生誕120年にあたる2020年春、一般公開の予定) 生後100日で視力を失った娘ハルを、瞽女として自立し、社会と共生できるよう厳しく躾をした母親と、それに耐え抜き瞽女唄の名人となった小林ハル。

その「母子の慈愛」は、世界に通じる人間の大切な心であり、この映画を通して日本や世界に伝えたい、また日本の故郷の感動的な美しい風景を世界中の人々に見て頂きたい、こうした混沌とした時代にこそ明日を照らす良心的な映画にしたい、という。 新潟県からは溝口副知事、三条市(小林ハルの生地)國定市長が発表会おいて挨拶し、この映画の船出に際し、励ましの祝辞を述べた。

舞台挨拶には、俳優陣から、爺様役の綿引勝彦、母親役の中島ひろ子、青春時代のハル役の吉本実憂(第13回全日本美少女コンテストグランプリ)、幼少期のハル役の川北のん(子役)が立ち、この映画にかける情熱と意気込みを話した。「瞽女」は、室町時代の文献や絵巻物に現れ、視覚障害者が一流の芸術家として市井の人々、農村の人々に喜びと楽しみと潤いを与え、社会と共生してきた歴史がある。障害者の自立と共生社会を目指すべく、昭和45年「障害者基本法」が制定されましたが、それよりはるか以前、わが国においては既に障害者の自立と共生社会を実現させていた「瞽女文化」があったという。この映画のタイトル「瞽女」は、一人の最後の瞽女小林ハルの半生を追うことにより、日本人の大切な心、やさしい心、厳しさに耐え明るく生きる心を広く伝えるものである。

「製作発表会、楽屋こぼれ話」

by エッセイスト&脚本家 椎名勲

 

製作発表会のお手伝いをしていた間の、「こぼれ話」をちょっとご披露しましょう。 発表会前日、ごぜ唄継承者萱森直子先生(小林ハルの直弟子)が、発表会に出席する役者さんたちに、ハルさんの思い出話を語り、ごぜ唄を一節、唄いました。 ・・・そばで聞いていた瀧澤監督が、突然、打ち合わせもなく、子役の川北のんちゃんに、ムチャブリ。 「のんちゃん、お稽古してきたでしょ? ここで唄ってみて!」「エーッ! まだ、ちゃんと覚えていません」「それでもいいから、唄って」のんちゃんは、萱森先生や他の役者さんやスタッフの前で、覚悟を決め、唄い出しました。 ところどころ、つかえた時は、萱森先生が助けつつ、見事に唄いきりました。一同、万雷の拍手。よくできた!と感心しきり。・・・9才の少女に、監督のムチャブリ!のんちゃん、よく耐えたネ。本番でも素晴らしい演技をするだろう。唄い終わって、のんちゃんは、近くに控えていた母親に駆け寄って抱きつた。「お母さ~ん! 恐かった!」 母親は、のんちゃんをギュッと抱きしめた。おおっ! ハルさんの「母子の慈愛の物語」そのもの、いいシーンじゃないか。・・・瀧澤監督が、ニコニコと眺めていた。
同じく前日。 この製作発表会を仕切るイベント会社「イデア・コミュニケーション」の渋谷社長が、役者紹介場面で。 「北川(キタガワ)のんちゃん、です」のんちゃんと母親が同時に「川北(カワキタ)です!」 社長「済みません。キレイな女優さん方を前にして、あがっちゃって、北川景子さんのことを考えていたもんで、つい。・・・この間も、アンジャッシュの渡部さんに、『ワタナベさん』と呼んでしまい、『ワタナベじゃねーよ、ワタベだよ!』と言われちゃいました」一同、大笑い。 一瞬にして、和やかな雰囲気になりました。さすが、イベント会社の社長さんは、切り抜け方がウマイね。転んでも、ただでは起きないヨ。」キレイな女優さんの、中島ひろ子さんも、吉本実憂さんも、笑い転げていましたネ。
 発表会には、NHKや読売新聞や毎日新聞や共同通信や、たくさんのメディアが取材に来てくれた。・・・発表会が終わって、しばらくして。控室でシーナが忙しく原稿を書いていると、そばでパソコンを叩いている渋谷社長にケータイ電話がかかってきた。NHKのテレビ記者から、確認の電話だった。渋谷「エッ?『綿引勝彦さんの演じるハルさんのお爺さんは、もう亡くなっていて、本当のお爺さんではなく、実際はお爺さんの弟のことでは?』との問い合わせですか? あの、その、それは(かつてのジャイアンツの長嶋みたいだネ!)・・・ちょっと待って下さい・・・」と電話口を手で覆い、シーナに呼びかける。 渋谷「シーナさ~ん!どっちなんですか?」私「真実は、お爺さんの弟です。映画では、お爺さんの弟とわざわざ説明するとややこしくなるので、物語の都合上、『爺様』と表現しているから、あたかも本当のお爺さんのように聞こえます」渋谷社長は、電話口の手をはずし、そっくりそのまま説明していた。 ・・・NHKは、どうやら、納得してくれたようだ。
控室。 またまた、NHKから、渋谷社長に問い合わせ。 渋谷「綿引勝彦さんを、なんで爺様役に起用したか?ですって。それは、あの・・・ちょっと待って下さい・・・」 と電話口を手で覆い、瀧澤監督に呼びかける。「監督、代わって下さい」瀧澤は、あちこちへお礼の電話をかけたり、今後の段取りを打ち合わせて、手一杯の様子だった。瀧澤「今、忙しいの! 急に、そー言われても。・・・そーだ! こーゆーことは、脚本家のシーナさんが得意だから、シーナさんに代わってもらって」私「ハルさんは、『自分を導いてくれた恩人は、母親と爺様の二人だ』と最後まで感謝していた。母子の慈愛の物語ではあるが、その母子を、大きな愛と包容力で支えて、引っ張って行く力が爺様だった。それを演じられるのは、今の役者さんでは綿引勝彦さん以外にはいない。・・・でもネ、NHKに答えるのは監督だよ」瀧澤監督は、渋谷社長から電話を受け取った。 NHKは、感心して聞いていたようだ。監督の口から直接説明すると、やっぱり説得力と迫力、があるネ。
・・・もっと書く材料は、いっぱいあるけれど、昨日の今日で疲れたから、こぼれ話の執筆は今日はこれまで。 いつものようにハワイ・コナ・コーヒーの豆を挽いて、ペーパードリップで落とし、コーヒー淹れて、おやつに、新潟で買ってきた新潟名物「笹だんご」を食べよ、っと。


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瞽女ご  ぜとは

WHAT'S “GOZE”

 瞽女が訪れた村にとっては、その日はハレの日です。彼女たちが持ち込む芸によって日々の疲れを癒し、やすらぎと娯楽を得ました。瞽女たちは、期待し待ち望んでる村人たちのために、視力の残った手引きを先頭に、三〜四人が一組となって師匠から弟子の順に前の人の肩の荷に左手を触れて動きを知り、右手に持った杖で足元を確認して歩きました。目の見えない女性が峠を越え、谷川の一本橋を渡り、この村にまで来てくれたのは、神のご加護によるものという畏敬の念で迎えられました。

 床屋は、宿を提供し村人をあつめて瞽女歌を聞かせます。瞽女たちは力いっぱい演じました。村人たちもお初穂を差し出し、わずかなおひねりを布施としました。お互いに自分が持っている気持ちが通った豊かなひとときを作り出しました。瞽女たちが聞かせてくれる三味線芸は、物語性のある古浄瑠璃などの段物を中心に、流行り歌、民謡などのほか都会の出来事や地震災害など読み込んだ口説き節で遠く離れた地方の動きを知りました。この主役になったのが瞽女たちです。

 彼女たちは、雪原を行き峠を越えるつらい旅を杖を頼りにつづけても、村人の喜んでもらえる芸を披露することに生きがいを見出していました。そこに、瞽女という独特な芸能が生まれ独自の文化を形成しました。幼い時から師匠の下で、厳しく三味線芸の修行を続け、独自の掟としきたりの中で、強固な絆で結ばれ、世間の差別・偏見に対して身を寄せ合いながら盲目という障害を克服して生きてきました。

 瞽女が訪れた村にとっては、その日はハレの日です。彼女たちが持ち込む芸によって日々の疲れを癒し、やすらぎと娯楽を得ました。瞽女たちは、期待し待ち望んでる村人たちのために、視力の残った手引きを先頭に、三〜四人が一組となって師匠から弟子の順に前の人の肩の荷に左手を触れて動きを知り、右手に持った杖で足元を確認して歩きました。目の見えない女性が峠を越え、谷川の一本橋を渡り、この村にまで来てくれたのは、神のご加護によるものという畏敬の念で迎えられました。


 床屋は、宿を提供し村人をあつめて瞽女歌を聞かせます。瞽女たちは力いっぱい演じました。村人たちもお初穂を差し出し、わずかなおひねりを布施としました。お互いに自分が持っている気持ちが通った豊かなひとときを作り出しました。瞽女たちが聞かせてくれる三味線芸は、物語性のある古浄瑠璃などの段物を中心に、流行り歌、民謡などのほか都会の出来事や地震災害など読み込んだ口説き節で遠く離れた地方の動きを知りました。この主役になったのが瞽女たちです。


 彼女たちは、雪原を行き峠を越えるつらい旅を杖を頼りにつづけても、村人の喜んでもらえる芸を披露することに生きがいを見出していました。そこに、瞽女という独特な芸能が生まれ独自の文化を形成しました。幼い時から師匠の下で、厳しく三味線芸の修行を続け、独自の掟としきたりの中で、強固な絆で結ばれ、世間の差別・偏見に対して身を寄せ合いながら盲目という障害を克服して生きてきました。 

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